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歴史研究会6月例会の報告


歴史研究会の6月例会は都内の文京区から北区にかけて、名勝庭園と歴史上の偉人たちのお墓をツアー。今回の参加者は15名、6月5日(水)午前10時にJR山手線駒込駅に集合。

  • 第一視察先:『六義園』

徳川五代将軍徳川綱吉の側用人として活躍した館林藩主柳沢吉保が江戸下屋敷として造園した見事な回遊式築山泉水庭園。東京ドーム2個分の広さを誇る大名庭園。

命名は紀貫之が古今和歌集序文で和歌の六つの基調を表わす言葉として「六義」として記したところから採ったもの。吉保が和歌に造詣が深かった査証。

入口を入って即、目に飛び込むのがそびえ立つ枝垂れ桜。実に圧巻。4月初旬の満開時は素晴らしかったであろうと想像。

広大な池を掘り、その土砂で築山を造り、千川上水を引き込んだ土木工事はかなりのもの。池に船を浮かべ、側室を侍らせ、お酒と肴で舟遊び。同様に、築山からの観月。風流で優雅の極み。当時は「水」の利権は最重要の類であり、それを飲料用ではなく小川と池の為の私的利用を可能にしたという事は権力の絶大さを物語る。サツキのピンク色の花が美しく咲き誇り、全盛をむかえており、既に遅いかと思っていただけに幸運。

現在の庭園は柳沢吉保の孫である吉里が20年間にわたり心血を注いだもの。その見事さは他の大名家の庭園に勝り、吉里は家臣のみならず幕臣や他藩藩士、挙句は出入りする町人や農民まで解放して自慢しまくったとの言い伝えあり。

明治維新後は三菱財閥創始者の岩崎弥太郎が購入し、幕末のドサクサで荒れ果てていた庭園を吉里当時の姿に復興。現存している庭園を囲んでいる赤レンガの立派な塀は同時期に弥太郎が構築。その後、関東大震災や米軍大空襲でも被害は最小限で現在に至る。

  • ランチタイム:『巣鴨ときわ食堂駒込店』

六義園から少々散歩し、駒込駅前の定食屋に入る。食ベログ3.62と高得点のお店。人気店の為、予約不可なので行列を覚悟したが、早め早めの行動の結果、全員着席達成。魚は毎日河岸から、米や肉は直接生産者から仕入れ。よって、刺身、魚の煮付けや焼き物、肉や魚や甲殻類のフライ等、いずれもお奨め。美味しくて量も多くコスパ抜群。駒込周辺ではお奨めのお店。

  • 第二視察先:『旧古河庭園と洋館』

明治の元勲陸奥宗光の元邸宅。宗光の次男が古河家へ婿養子として入り、本邸宅を持参。以降本邸宅は古河家の所有。敷地は東京ドームの2/3。明治時代の建物と庭園は現存せず。現洋館と庭園は大正8年(1919年)、古河虎之助男爵邸がその当時の最高レベルを目指して建造させたもの。

工部大学校(現東大)の建築学教授として来日した英国人ジョサイア・コンドルが北側の丘に洋館と、そこから見下ろす丘の斜面に西洋庭園を設計施工。丘と谷の地形をうまく利用。西洋庭園は見事なバラ園だが、そのピークは過ぎていた。

西洋庭園の先には京都の超一流庭師である七代目小川治兵衛が見事な日本庭園を作庭。心字池に中島を造り、その池を中心に枯滝、大滝を造営。滝は古河製ポンプを使用。

洋館はガイドツアーが約1時間あり、座る場所が全くなかったのでシンドサあり。本館の規模は延414坪 2階建地下1階。主構造は煉瓦造、小屋組と床梁は木造、一部鉄骨梁を使用。シャンデリアはオリジナルのものが現存。外壁は真鶴の新小松石(安山岩)の野面石積み、切妻屋根は天然スレート葺き、出窓や玄関ポーチ屋根は銅板瓦棒葺き。素朴で重厚な外観は英国の別荘建築に近い。

1階がすべて洋室で主に接客のための空間なのに対し、2階の寝室を除いたすべての部屋が伝統的な和室。通常英国の邸宅では寝室にバスルームが隣接しているが、この館はそうにあらず。寝室のバスルームの距離が離れており、トイレは邸宅の広さの割に小規模。和洋の様式を折衷することなく巧みな構成で和洋の調和を図っているが、家具類やタペストリー等がほとんどないのが残念。

旧古河邸はコンドルの最晩年の設計で、「洋館内部に和室を完全な形で取り込んだ極めて珍しいプラン」とのガイドの説明ではあったが、このような洋館は他にも存在。例えば京都の円山公園にある長楽館等。

  • 歴史上有名人のお墓参り:

旧古河庭園から徒歩にて、かなりの距離を歩き、あまりお寺の建物らしくないモダンな臨済宗妙心寺派勝林寺へ。このお寺には、現在再評価されつつある田沼意次が埋葬されており、かなり立派な由緒がありそうなお墓であった。

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さらに隣接する日蓮宗慈眼寺にて、芥川龍之介と谷崎純一郎のお墓をお参り。共に規模はそれほど大きくない庶民的なレベル。息子で俳優の芥川比呂志と音楽家の芥川也寸志もあり。谷崎純一郎のお墓は分骨されたもので、大きな立派なお墓が京都東山の有名な哲学の道から奥に入った浄土宗法然院にある。分骨された寺院の宗派が異なる背景は不明。

その裏手の都内三大霊園の一つである染井霊園を突き抜け、法華宗陣門流東京別院本妙寺へ。ここで、名奉行遠山左衛門尉景元(遠山の金さん)、北辰一刀流の剣豪千葉周作、囲碁の歴代本因坊等のお墓をお参りし、明暦の大火の供養塔を拝んだ。このお寺が火元と云われている。

最期に染井霊園に戻り、上野の西郷さんの銅像作製で有名な高村光雲と息子で詩人の高村光太郎及び智恵子夫人、そして二葉亭四迷をお参り。

結構な距離を歩いて、やっとJR山手線巣鴨駅に15時半ごろ予定通りに到着し、解散。全体で約1万6千歩の大ツアーとなってしまいました。今回の反省として、次回以降は適宜休憩場所を設けていきたく思います。

最期に、新幹事の南、志賀、伊藤の若輩者三名にて、向こう二年間の任期を面白おかしく、歴史の知識増強に向けて、注力してまいります。皆さまのご意向を可能な限り反映させてまいりますので、ぜひ率直なご意見を賜りたく、よろしくお願い申し上げます。

(写真:南・志賀、記録:伊藤)

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