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歴史研究会10月例会の報告


台風やら豪雨やら、天候を心配しておりましたが、杞憂に終わり、当日は再び気温が30℃を超えるピーカン照りが復活しました。池袋で待ち合わせ、湘南新宿ライナーで終点の宇都宮まで行きました。

参加者:11名

集 合:10月2日(水)午前9時20分、西武池袋駅地下集合

解 散:16時過ぎ、宇都宮駅にて解散

  • ランチタイム:『健太餃子』

湘南新宿ライナーで1時間40分、宇都宮に到着です。到着後、先ず、各自が大谷観光1日券を1750円で購入しました。バス往復920円、大谷寺拝観料400円、大谷資料館入場料800円、合計2120円となるので、観光1日券を買うと370円のお得となりました。

先ずはランチです。宇都宮と云えば何と言っても『餃子』、当然『餃子』です。そしてお供はピッタシの『ビール』です。宇都宮駅の賑やかな西口とは逆の寂れた東口の、これから開発する予定地に簡易的にできたプレハブ風建物にある餃子店『健太餃子』に入りました。このお店の本店や支店は西口にある有名店ですが、いずれも狭いのです。

しかし、開発の為に本年10月いっぱいで閉鎖される東口のお店は中が広く、大人数でも待つ必要なく座れます。

そして、多くの方が餃子12種食べくらべ(計12個)860円とビールを注文されました。餃子12種とは、健太(野菜中心の宇都宮餃子)・舞ちゃん・ニラ・ニンニク・激辛・椎茸・舞茸・チーズ・シソ・スタミナ健太・お肉・エビで、その全てが一皿に盛られています。問題なのは、食べてみないとそれぞれがどの餃子なのかが分からない仕組みなのです。よって、肝心の激辛がどこにあるのかは不明なので、ある種の罰ゲーム的な遊ぶ感覚で味わえる代物です。餃子とビールの相性が抜群でした。やはり!!!

宇都宮餃子は、どちらかというと野菜が中心なので、値段が安いのです。そして、その消費量が日本一との座を15年間守ってきましたが、2011年以降は浜松市にその座を奪われてしまい、今日に至っております。それでは、そもそもなぜ宇都宮が「餃子の街」になったのでしょうか?

時代は戦時中にさかのぼり、当時、宇都宮にあった陸軍第14師団は、長く満州に派遣されており、その兵士が宇都宮に帰ってきた際、現地で食べられていた餃子を広めたことが「宇都宮餃子」の発祥と言われております。しかし、基本は水餃子で焼き餃子は日本で広まった食べ方と言われています。従って、どこの餃子屋さんも焼き餃子と水餃子を両方を提供しております。

  • 第一視察先:『大谷寺(おおやじ)と大谷観音(おおやかんのん)』

宇都宮駅東口で餃子を食し、その後西口へ移動して大谷行バスに乗りました。約30分、バスに揺られて大谷寺に到着です。

大谷寺は天台宗のお寺で、大谷石凝灰岩層の洞穴内に堂宇を配し、大谷石の壁面に掘られた4組10体の石心塑像群が4区に分かれて彫出されている日本屈指の洞窟寺院です。そして、坂東三十三箇所第19番札所で、国の特別史跡および重要文化財に指定されております。女性係員がガイドをかってでてくれました。

本尊は、西に面する凝灰岩の岩壁1区に彫られた丈六(約4.5m)の千手観音で、一般には「大谷観音」の名で知られています。同観音は810年(弘仁元年)に空海が刻んで、この寺を開いたとの伝承が残ることから、千手観音が造立された平安時代中期には周辺住民等の信仰の地となっていたものと推定されています。そして平安末期には現代に残される主要な磨崖仏の造立がほぼ完了しました。

南に面する2区が大きな釈迦三尊像(像高3.54m)が彫られています。左右に文殊菩薩と普賢菩薩を配した伝釈迦三尊像とのガイド説明でしたが、右脇侍像(向かって左の像)は合掌する僧形像で、図像的に普賢菩薩像とは明らかに異なります。質問しましたが、ガイドの女性はまるっきり分かりませんでした。よって、本来の像名は未詳としておきます。

同じく南に面する3区は薬師如来三尊像(像高1.15メートル)と両サイドより小柄で、左右に日光菩薩と月光菩薩を配した伝薬師三尊像ですが、残念ながら風化損傷がかなり著しい状態でした。

続く4区は2区の釈迦三尊像に匹敵する見事な阿弥陀如来三尊像(像高2.66メートル)で、左右に観音菩薩と勢至菩薩を配した伝阿弥陀三尊像との説明がありました。しかし、どう見ても2区と同様に右脇侍像(向かって左の像)は合掌する僧形像で、同じくガイドの女性では全く分からず、従って本来の像名は未詳としておきます。

もう一つ疑問が湧き出ました。天台宗のお寺で格上の釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来を差し置いて、なぜ千手観音菩薩が本尊なのか分からなかったからです。菩薩が大変な修行の上、悟りを開いて如来になる、という事なので、究極のお姿が如来なのです。悟りを開いた如来を修行中の菩薩が従えた配置なのです。

不思議ですね。なぜでしょう?当然ガイドの女性はチンプンカンプンでした。きっと何らかの謂れとか伝説があるのだと思います。本当はお坊さんに尋ねたかったのですが、残念ながら時間がありませんでした。

いずれも造立当時は金箔と彩色が施された煌びやかな像であったとの説明があり、その後、覆っていた漆や粘土が剥離した部分も多いのですが、保存状態は比較的良好だと思われます。

  • 第二視察先:『大谷寺平和観音』

大谷寺を出て角を曲がるとそびえ立つ巨大な平和観音が一気に視界に入ってきます。平和観音は太平洋戦争の戦死者の慰霊と世界平和を祈念して、終戦後間もない1948年(昭和23年)から6年かけて大谷石採石場跡の凝灰岩層壁面に総手彫りで彫られた像高88尺8寸8分=27m、胴まわり20mの石造観音菩薩立像です。竣工は1954年(昭和29年)、開眼は1956年(昭和31年)5月4日です。

平和観音の向かって左側に登り階段があり、観音の中腹まで行けます。

中腹まで登ると、観音のご尊顔をすぐ真下横から拝めるとともに、大谷の街並みが一望できました。

  • 第三視察先:『大谷資料館』

平和観音から徒歩10分ほど、大谷岩の切り立った山肌を眺めながら、気温30℃を超える暑さに汗が噴き出る中を歩きながら進むと大谷資料館に到達します。ここは長い間、一般の人々の目に触れることなく「未知なる空間」と呼ばれた大谷石地下採掘場跡です。

トンネルの階段を下っていくと冷気が漂い始め、いよいよ気温12℃の地下採掘場へ潜っていきます。外気温30℃から一気に涼しい12℃の世界へ突入です。とても気持ちが良い寒さでした。

とても幻想的な音楽と照明が織りなす地下採掘場の跡は2万㎡におよぶ巨大なラビリンス=迷宮のような大空間で、深さは30m、最深部は地下60mもあるとのことです。まさにインディジョーンズの映画のような巨大な地下大神殿を思わせる景観は、この地ならではの圧巻で、本当にここが日本?と錯覚するような不思議な非現実感を体感しました。後半にあった広場の横真下には、雨水の溜まった巨大な池があり、驚いたことに水深30mとの記載がありました。その周辺をレーザーやカラフルな光で幻想的な演出がなされていました。

印象的だったのは同広場の奥の方から眺めると、その先にステージがあり、そこには大谷石の巨大なケルト十字がそびえ立っており、色とりどりの照明がなされていました。ここでアイルランド出身の世界的歌姫であるエンヤがコンサートを行い、世界的大ヒット曲「オリノコ・フロー」等を唄ったそうです。

ちなみにケルト十字とは、アイルランドにキリスト教を普及させた聖パトリックが考案したキリスト教の十字とケルトの太陽神を象徴する円環を組み合わせた十字架で、太陽十字とも呼ばれます。これは太陽の生命の源としての属性を十字と結びつけることで、十字の重要性を太陽神の信者だったアイルランド人にキリスト教を布教しやすくするためだったとされます。筆者(伊藤)はアイルランドに仕事の関係で1年半、家族と暮らしており、とても懐かしく馴染みが深いものでした。

それにしましても、この見事な観光要素満載の施設をあまり宣伝していないのは本当にもったいないと思いました。栃木県は何を考えているのでしょう?もったいない事です。

15時42分発の帰りのバスまで少々時間があったので、大谷資料館のカフェでコーヒーやジェラートを各自が楽しみ、バスを待ちました。このジェラート、結構美味でした。時間通りに来たバスに乗り、宇都宮に16時20分ごろ到着し、急いでお土産やらお酒等を買い込み、そして、ここで解散しました。ちなみに筆者(伊藤)は名物『御用邸チーズケーキ』と『幸楽』の餃子をお土産に買いました。餃子は多種多様あり、迷いましたが、表紙が一番地味でシンプルでカラリングも一色だけの唯一ケバケバしていない『幸楽』を買いました。結果は大正解で、チーズケーキともども家族に喜ばれました。

若干遠い場所でしたが、天候に恵まれ、ちょっとした遠足気分を味わえました。

以上

文責:伊藤芳康

写真:南 博幸

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