この度令和2年1月、所沢に新しく「所沢七福神めぐりー八国山・荒幡富士コース」が、開場されました。この歴史的なアイデアは、当会の初代会長平塚宗臣さんの長年の発案によるものです。
町おこしと地域の活性化、そして観光PRを兼ねたこのプロジェクトを当初より推進し、この度の開場に結びつけられたご本人に、本件の背景・経緯や思い等について詳しく話をお聞きしました。
当日のその内容は次の通りです。
なお、インタビューは令和2年2月2日(日)所沢三田会新年会の終了後に行われたものです。
1)所沢七福神巡りの開場に至るまでの背景・経緯について
6,7年前から近隣入間、狭山、飯能が、人口減少している中、所沢地域の人口動向が横ばいとなり、これから減少していくことが想定される状況になってきていた。
こうした中で、地域の振興や町おこしの為に何かを考えていく必要性を感じていた。一方、人生100年時代を迎えて、これから市民の欲するニーズは何かと考えた時に物ではなく「心の豊かさと健康」ではないかとの延長線で七福神というアイデアに至った。福を求めるなら神様に近づくのが一番手っ取り早いのではないかとも考えた。
2)いつ頃から考えられていたのか?
5,6年前からこのアイデアを温めてきていたが、予期せぬことに昨年4月に令和という改元の事態が発生した。この改元により兎に角令和の元号に併せてスタートしたいと強く意識した。この改元がプロジェクトの実現に拍車をかけた。
3)開場までに苦労されたことは?
お寺という宗教的な知識・情報をよく知らない中で7つの寺の各関係者(住職、総代)のプロジェクトへの了解を取り付けるのに労力を要した。各寺とも従来より単独・独立的な手法で運営されており、七福神巡りと言う一体的 な考え方は馴染みにくい要素もあった。又、今年スタートさせるベースで計画したのでその準備が大変でした。ご神体の石屋への発注等は8月までにしないと間に合わないので時間的制約に追われた。
4) 7つのお寺さんの選択はどのようにされたのか?
どこに七福神を設定するかについては、市民に気楽に親しんでいただける場所にしよう。その為の条件として(1)ハイキングコースになじむ(2)駅に近いところ(3)歩行上の安全性(4)歴史的に造詣の深いところの観点より選択することにした。市内には、寺が58か所、神社が30か所あり検討したが、ここの場所がベストと考えた。そして八国山・荒幡富士コースと名付けた。
5)具体的な手順について
八国山・荒幡富士コースに沿った7つの寺を選択し各檀家の総代に話を持っていき、各々の住職に相談してもらった。そして、賛同して頂いた。その後全体の話し合いの場を設け、毎月会議を開き準備をすすめた。
ご神体の配置、石屋との交渉、チラシの発注、のぼりや御朱印帳等を具体的に検討し確認。そして、住職と檀家さんの総力を結集し、また所沢市観光協会や商工会議所の皆さんのバックアップをいただき完成に漕ぎつけることが出来た。
6)今感じられていること
今は、多くの方々の力強いご協力を得て開場できたのも、これは七福神の神様のお陰だと思っている。今後、市民に福運をもたらし、親しまれる所沢七福神になるように願っている。そして、所沢の観光資源の一つとして、町おこしと地域の振興に貢献できればと思う。
1月末現在で参拝客数が約1000人又、ネットの検索数が55万6千件に上りあまりの反響に驚いている。
7)今後の展開について
長期的展望に立ちより魅力ある歴史的資産として残して行く。その為には、寺の存在感を高めて、更に個性化を推進したい。(EX 四季折々楽しめる花の寺づくり等。アジサイ寺、さくら寺、つつじ寺等の庭作りを進めたい。)
所沢七福神「八国山・荒幡富士コース」
所沢の七福神は持明院(恵比寿尊)、長久寺(大黒天)、佛眼寺(福禄寿)、永源寺(弁財天)、光蔵寺(寿老人)、本覚院(布袋尊)、海蔵寺(毘沙門天)の各お寺に設置されている。ここは昔、東山道武蔵路や鎌倉街道が通り、栄えたところで、この7ヶ寺は、平安、鎌倉、室町時代に建てられた古刹である。
なお、この狭山丘陵コースは、明治~大正にかけて詩人の大町桂月が、好んでしばしば散策したコースで、エッセイに美文が記されている。荒幡富士には「八州のわれに朝する青葉かな」桂月の句碑が立っている。四季折々趣のある散歩道ですのでどうぞお出掛けください。
文責 松尾 基昭
写真撮影 岡田 充、松尾 基昭