いつもお世話になりありがとうございます。
昭和48年経済学部卒業の荻原です。
下関で生まれ、岐阜県吉城郡神岡町、新宿区柏木(現在の西新宿)、中学一年で大分市と父親の転勤で転居し、予備校時代は下総中山、慶応義塾大学時代は祐天寺のアパートと転々としてきました。
現在は、所沢市上新井に居を構え、マンション管理士として活動させていただいている不動産大好き人間です。
さて、私が不動産と付き合うようになったきっかけは、1960年前後のことでしょうか、父に連れられ、原町田駅(今の町田駅)から、バスに乗り日本住宅公団山崎団地隣接の造成地を見に行ったことです。
父は、その造成地にたち、「南面傾斜の雛壇造成の一番上のこの場所が一番いい土地だ」「土地は、国鉄の線路より高い場所を選ばないと」と話していたのを覚えています。
その影響でしょうか、学生時代に宅地建物取引主任者資格を取得し、その後の就職活動でも自然と不動産会社を目指し、昭和48年に不動産会社入社以来40年にわたり経理部門、マンション開発販売部門、戸建開発販売部門、霊園管理運営部門等を経験してまいりました。
また、個人としても、総戸数198戸のマンションに15年間居住し、約10年間管理組合活動を経験し、さらに、平成12年マンション管理適正化法によりマンション管理士制度が創設された際、その第1期生として資格を取得し、マンション管理組合運営の相談等にかかわるようになりました。
平成25年に不動産会社を退職し、マンション管理士活動を本格化させ、同年7月に地元小手指に「マンション・地域・ネクスト研究室」を仲間達と立ち上げ、現在までに、マンション管理・マンションライフ関連のセミナーを32回開催させていただいてきました。
この活動の目的は、マンションとそのマンションの立地する地域の近い将来をみんなで考え、マンションと地域の居住価値を維持・向上させていきたいということで、地域への貢献を第1に考えています。
その為に研究室には、マンション管理士をはじめ弁護士、公認会計士、税理士、ファイナンシャル・プランナー、建築士、社会保険労務士、宅地建物取引士等多彩な専門家が参加し、ワンストップの相談対応を目指しています。
私の学生時代から思っていることは「日本人の財産で大きなウエートを占める不動産に関わるアドバイスができるようになること。」です。
少子高齢化が進行し、不動産は「負動産」といわれたりもし、現在でも「いい意味でも悪い意味でも」社会的に大きなウエートを占めていると感じています。
こうした中で、これまでの経験を活かして不動産関係のアドバイザーとして活動を続けられることはありがたい限りです。
具体的な活動については、下記のマンション・地域・ネクスト研究室ホームページをご覧いただければ幸いです。
最後になりますが、仕事等で苦しいときにはよく「往かんかなこの道を 遠くはるけく往かんかな ああ わが義塾 慶應 慶應 慶應」とか「慶應 慶應 慶應 はえあるその名
慶應 慶應 慶應 われらが母校」等の歌詞を呟き乗り越えてきました。
付け加えると、私のイニシャルも「K.O」です。
現在、所沢三田会、鎌倉三田会、不動産三田会に所属し、塾員としての誇りをもって歩んでいます。
以上ですが、何かありましたらお気軽にお声がけください。
<マンション・地域・ネクスト研究室URL>
https://office-ogiwara.jp/manken.html
(感想)
今回会員紹介のH.P欄にご登場願うにあたり、大出会長と松尾で事前に取材を兼ねお話を伺う機会を頂きました。
以前から、不動産関連の仕事をされていると耳にしていましたが、具体的に実情を伺うのは今回が初めてでした。
一連の話の中で、小さな時の偶然の経験から学生時代、会社時代更に退職後と現在に至るまでの不動産に関わる仕事を長くライフワークとして取り組んでこられた語りに感心しました。
早期目標の設定の上で、会社の選択・経験、各種の資格取得、人的ネットワークの活用等を通じて、浮き沈みの激しい不動産業界の中で、懸命に自己実現を図られてこられた世界は早々に真似できることではありません。
退職後の現在も、「マンション・地域・ネクスト研究室」を主宰され、マンション管理の在り方、課題等について青年のように熱く説明される姿は印象的でした。
是非、これからもこれまでの経験を活かし、社会貢献の一役を担われながらの更なるご活躍をお祈り申し上げます。
又、各三田会での一層のご活躍も期待しております。
松尾 基昭(S47経)・記