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サラリーマン人生から全国通訳案内士へ 高木聖久(S48経卒)


(高木 聖久 S48卒)

私は福岡県の久留米市に生まれ、3歳から19歳まで父親の仕事の都合で八幡市と小倉市(現在の北九州市)で暮らしました。この頃は西鉄ライオンズの全盛時代でもあり福岡県では街のいたるところでジャイアンツの王選手や長嶋選手の写真の踏み絵が堂々と実施されるという土地柄でした。

時は過ぎ、愛する西鉄ライオンズは所沢に移り球団名も1文字だけ変わりました。福岡県民の多くはソフトバンクホークスファンに改宗してしまいましたが、私にとっては、こんなものは昔の南海ホースクなのでとても応援する気にはなれませんでした。

そんなこんなで、敬虔な新生西武ライオンズファンとして混迷の太平洋クラブ、クラウンライター時代を耐え忍びあの栄光の第二の黄金時代の喜びを所沢の皆様と共有させていただきました。

私にとっては、住まいは飯田橋(千代田区)ですが、所沢はあこがれの土地となったのです。

こうした経緯から、たまたま縁があって所沢三田会に入会の話があり、この栄光の所沢の地名に逆らえるはずもなく二つ返事で入会させていただいた次第です。

大学卒業後はTOTOに入社し、営業、マーケティング部門を担当し、東京、大阪、名古屋、福岡などでの勤務を経て60歳になったときに退職いたしました。

本来、わがままな性格で人に指図されて仕事をするのが嫌いな人間でしたので、50歳を過ぎたころからは、会社には申し訳ないのですが、定年退職後に組織に縛られずに何をするかばかり考えていました。

仕事を通じて英語を使う機会はなかったのですが、学生時代から英語は比較的好きな課目だったこともあり、役職定年を迎えた55歳の時に英語の腕を上げたいと駅前留学の英会話スクールに通い始め、海外旅行の時に英語を使うことを、時には苦しみながらも、楽しんでいました。

その頃スクールの待合室に置いてあった雑誌で通訳案内士なる資格があることを知り60歳からの新しい仕事をこれにしようと定めました。試験は英語、地理、日本史、一般常識・・・高校時代にはそこそこ秀才でペーパーテストは得意。こんな試験なんぞ軽いもんだとたかをくくったのが大間違いで2年続けて見事に失敗、3年目に予備校に通ってやっと合格にこぎつけました。60歳定年直前にやっと合格できたわけです。今振り返れば、この3年間は暇さえあれば勉強ばかりで大学受験勉強以上だったのではと思います。

定年退職の日からすぐに人生設計通りに外国人相手の観光案内業の仕事が始まりました。観光業に何のゆかりもノウハウもない私はインターネットのホームページ(以下、HPと称する)作り唯一これを営業ツールとして荒波の大海に小舟で乗り出したわけです。そのころは個人のHPを作っている通訳案内士は少なく、大半の人たちは大手・中堅の旅行代理店から仕事をもらっていました。

しかし、ここでも再び人に使われるなんてまっぴらだとの思いから、クライアントの細かい要望に応じた旅行を提供するとのコンセプトの下、自分自身で直接仕事を受けるべくHPのみによる営業を開始しました。こういうと格好いいですけど私の性格と便器営業の経歴とではこれ以外の方法はなかったと思います。

この戦法はうまくいったようで、開業から数か月後には月に10件から20件くらいの引き合いが来るようになり、成約も月に10件くらいになりました。

このように順調に滑り出したのですが、ここであの津波と原発事故。ほぼ一年間外国からの観光客は来なくなってしまいました。

しかしながら悪いことばかりではなく、その後朝日新聞から私のガイドとして一日の仕事を取材したいとの依頼が飛び込んできました。依頼内容は、企業定年後に新しい仕事に取り組んでいる人たちを「一身二生」というシリーズに全国版で紹介しているので協力してほしいとのことでした。

この紹介記事(注1)により、私のHPへのアクセス数激増の撒き餌効果を生み、その後の数年間は、あらゆる検索ワードにおいて常に最初の検索ページに出てくるようになりました。  

引き合いは多いときでは月に100件を超え、他のガイド仲間に斡旋できるほどの反響をもたらしました。新聞記者はなぜ私に声をかけてきたのか今も分かりませんが、朝日新聞様様でした。

現在はコロナ禍で外国人観光客は皆無となり、年内の回復はとても見込めそうもありませんが、10年間の仕事を通じてのサバイバルENGLISHの腕も上がりましたし、新規顧客開拓のためのマーケティング活動も誰に指図されることもなく好きなように試行錯誤しながら楽しんでやってきました。

来年以降客足が戻り始めたら体力と相談しながら仕事量を調整していこうと考えています。

面白いものです。

 なお、所沢三田会ではパソコン同好会に入会させていただいておりますが出席できないことが多く申し訳なく思っております。

以下は私の唯一の営業ツールで最近フルモデルチェンジしたものです。

お暇な時にでものぞいていただければと思います。

(参考)全国通訳案内士とは国家資格を取得した上で、外国人観光客を対象に報酬を得て通訳案内を業とする職業

(注1)朝日新聞記事(2014年4月4日付)

朝日新聞記事(2014年4月4日付)

 

(感想)

今回は、団塊の世代を「一身二生」の羨ましい人生を駆けてこられた高木聖久さんにご投稿頂きました。

平均的なサラリーマン人生からすれば、ある種理想的な人生と見られがちですが、ここに至るまでの道のりに費やされた時間とエネルギーは人方ならぬものがあると感じていたので、事前に直接話をお聞きました。

やはり、今回の記事の背景にある色々な話をお伺いして納得するものがありました。

(詳細、興味ある方は本人に直接お尋ねください。)

今は、このコロナ災禍でガイド業は休止中ですが、これまでの仕事の中でのエピソード(入れ墨師への同行話やLGBTのガイドの話等)も面白く、可笑しく話して頂きました。

ご本人は、福岡県生まれの郷土愛に溢れた生粋の熱狂的西武ライオンズファン、これぞ九州男児的な雰囲気が印象的でした。

これからも益々の「一身二生」のご活躍を期待しております。

又、お忙しい中、遠方(東京千代田区)からパソコン同好会にも参加して頂いており有難く思っています。これからも引き続き、野球観戦同好会と併せ顔を出して頂ければ幸いです。

松尾 基昭(S47経)・記

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