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「音楽家は国の宝物です」―コロナ禍と音楽家の話二題―


小野哲生(S39経)
小野哲生(S39経)

コロナ禍の中、コンサートや、演劇、スポーツ大会などが軒並み中止となり、それらのイベントに関わる人たちはずいぶん苦労されているようです。そんな中で昨年、音楽に携わる友人の二つのエピソードに出会いました。


 一つは学生時代のゼミの仲間の話です。

50年以上前に一緒に同じゼミで学んだH君は、あるメガバンクからいくつかの一部上場企業に移って勤務した後、10数年前からA交響楽団の理事長を務めています。

それまで経験したことのない世界へ全くの門外漢として飛び込んだわけですが、数年でそれまでの累積赤字を解消して経営を軌道に乗せました。その矢先にやって来たのがコロナです。

一昨年(2020年)の2月、彼から仲間に来た手紙には突然の経営危機のことが率直に述べられていました。「突然政府から公演自粛要請を受け、予定していた3月、4月の22公演がすべて中止、1億5千万円の収入が飛びました。楽団の経営には毎月5千万円の経費が掛かりますから、2か月間の収入がゼロでその後の公演も開催の見通しが立たないということになると経営は深刻な状況に陥ります」。


公演の中止がもたらす問題は経済面だけでなく、それ以上に深刻なのは演奏家の技能の維持・向上が困難になることでした。「1日練習を休めば自分にわかる。二日休めば隣に、3日休めばみんなにわかる」という世界です。長期間公演が開けないということが演奏家にとってどれだけ大変なことなのか、当事者でなければ理解できない大問題です。彼はそのことを次のように書いていました。「音楽家は国の宝物です。守らねばなりません。楽団の破綻は文化・芸術の崩壊をもたらします」。それは、A交響楽団だけの問題ではなく、クラシック音楽という国の文化そのものが危機に直面していることを意味するものでした。楽団員のみなさんは給与カットに耐えながら歯を食いしばる思いで腕の維持に努めたに違いありません。


周知の通りコロナはその後も猛威をふるい続け、A楽団がどうなっているのか、みんなで心配していた所へ昨年7月、彼から2通目の手紙が届きました。「2020年度だけで70公演が中止となって6億円の収入が失われ、年間収支は4億円近い赤字見込みとなり、一時は『存続の危機』と言える状態に追い込まれました。この間、国の補助、民間団体の助成、金融機関の支援、個人・団体の寄付などにより、2020年度決算は奇跡的に赤字を回避できるところまでこぎつけることができました」とあり、9月以降の公演予定のパンフレットが同封されていました。


実は私は音楽と言えば演歌とジャズくらいしかなじみがないのですが、とりあえず5回分の公演チケットを申し込み、コロナへの不安を感じつつ9月の月例公演を聴きに出かけました。演奏曲はショーソンの交響曲、指揮は山田和樹氏。久しぶりに開かれたA交響楽団の演奏は素晴らしいものでした。それは公演再開のために心血を注いだH理事長はじめスタッフ達の努力と、久しぶりに観客の前で演奏できるプレーヤーたちの喜びがまさに一体となった公演でした。演奏者全員がそれまでためていたエネルギーを爆発させたような迫力を感じ、座って聴いていただけなのに演奏が終わった時にはなにか充実感のようなものを味わっていました。


彼の手紙は次のような文章で終わっています。「しかし、一見存続の危機は脱したかのように見えますがコロナ収束の目処はまだ見えず、2021年度も厳しい状況は続くと予測されます。・・・A交響楽団は芸術性と社会性を兼ね備えた音楽団体として、新しい時代の社会の要請にしっかりと応えられるよう自らの変革を行っていく所存です」。

理事長の心意気と楽団メンバーの熱意、これがある限りA楽団は大丈夫と信じつつ今後の活動に期待しています。



二つ目の話は、我が家で開いたホームコンサートのことです。

妻の友人にソロのバイオリニストがいるのですが彼女も長期間演奏の機会がないことで技能の維持・向上に対する不安を感じていて、ある日「一度小野さんの家で演奏させてもらえませんか。実は聴いてくれる人がいない所で練習するだけでは気分が乗らず、練習の質が上がらないような不安があるので。」という話がありました。もちろん二つ返事でお受けしたのですが「二人だけで聴くのはもったいないからもっと人を集めよう」ということで妻の友達に声をかけ、12人の観客が集まりました。客席は狭いリビング、ステージは隣の和室です。観客12人とは言え彼女はちゃんと舞台衣装に着替えて本格的な演奏をしてくれました。かつてNHKでコンサートマスターを務めたこともあるプロのプレーヤーが目の前で弾く演奏はさすがに迫力があり、12人の観客は彼女が奏でる名曲の世界にすっかり魅了されてなんとも贅沢な時間をエンジョイすることになりました。


実はこのミニコンサートに妻がどうしても呼びたい友人、Yさんが参加してくれていました。彼女のご主人は数年前から全身がだんだん動かなくなる難病を患い、彼女は文字通り献身的な看病を続けていたのですが、昨年の3月に他界されたのです。彼女の落ち込み方は尋常ではなく、4か月が過ぎたその時にもまだ立ち直っていませんでした。妻は、だいぶん時間が過ぎたことでもあり、彼女がこのバイオリニストのファンでもあったことから半ば強引に口説いて引っ張りだしたのです。それを知ったバイオリニストはYさんの大好きな「G線上のアリア」を最後の曲として選んでくれました。


後日、彼女から手紙が届き、次のようなことが書かれていました。

「櫻子さんの奏でる心のこもった『G線上のアリア』の音色に引き込まれ、不思議なことにその当時(*高校時代)のことや、今までの楽しい思い出が次々と心に蘇ってきました。人と会えば楽しく話せるものの、心の底にはどうにもならない悲しさや後悔の念がデンと居座り、夜ともなるとブラックホールのように私の気持ちを吸い込んでしまっていました。でも、昨日は今までの人生の数々の楽しい思い出に心底思いをいたすことができたのです。気持ちが明るくなりました。心に残る思いはまだ当分消えないけれど、少し明るく、軽くなった気がして、前を向いて進んで行けそうです」


読んでいて思わず目頭が熱くなりました。このコンサートをやってよかったという思いの中で、H君の言葉が頭に浮かびました。「音楽家は国の宝物です」。

H君は音楽だけでなく芸術全体のことを言ったのだと思います。クラシックに限らず、すべての音楽、演劇、古典芸能等々、このコロナ禍の中ですべての芸術は守られなければなりません。芸術は人間が生きていくうえで欠かすことのできない大切なものだからです。H君はまさにそのことを訴えたかったのだと思います。



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