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『或る想い出』

伊吹 一夫(S45政)

 1983年、帰国を翌月に控えていたある日、突然M夫人から事務所に電話がかかってきました。『Barnes Collectionの予約が取れました。』ということでした。来月帰国が決まっていることを伝えると、『生前、主人が約束していたので間に合って良かった...。』と約束が履行できて本当にホッとしている様子が電話を通して窺い知ることができました。

 本社の事業の一環でM氏と知り合ってまだ間もないころ、共にmuseum- goerであることを知って同氏は私を「Barnes Collection」に招待してくれました。1994年に東京で特別展が開催されこともあり今ではよく知られているコレクションでしょうか。 

 かつてDr. Barnesの私邸であったフィラデルフィア郊外(注)の屋敷が美術館として公開されており、当時(1980年)でも180点のルノアールの他セザンヌ、マチスを中心に、ピカソ、モヂリアニ、スーチン、ルソー等々の名画が多数収蔵、展示されていました。事前申し込み制で、且つ一日の入場者数が極めて限られていたのでこれほど余裕をもって巡ったギャラリーは後にも先にも記憶がありません。

 エントランスホールのマチスの大作から始まり、ところ狭しと壁一面に展示された数々の名画の後で再び眼を奪われたのは、我々の退出後ギャラリーの主役にとって代わった多数の児童生徒でした。彼らが思い思いの姿勢でルノアール、セザンヌ(複製ではない)を模写写生する光景がとても印象的でした。後で知ったことですが、創設者のDr. Barnesと密接な交友関係にあったプラグマティズムの思想家John Deweyの社会教育思想の理念をDr. Barnesの遺志に基づきバーンズ財団が忠実に実践踏襲しているとのことでした。

 感動の面持ちで、恐らく貧弱な語彙を重ね合わせて素晴らしさを表現したのでしょうか、去り際にM氏から『駐在期間中にもう一度招待したい。次はご夫婦で』との申し出がありました。


 

Matisse and Albert Nulty, Curator at the Barnes Foudation

その後、本社側の事業環境の変化からM氏との関係が薄れていく中、M氏は旅行先の西独で亡くなられ、それから2年ほど過ぎ、私も帰国準備をはじめ出した頃でした。全く予期せぬ【故人からの招待】に家内共々喜んで応じたことは言うまでもありませんでした。

現役を退いてから早稲田大学で学芸員資格を取得する遠因の一つに、かつて目にした、車座で説明に聞き入る生徒、名画の前で一心に模写する児童生徒の光景が脳裡の片隅にあった?かもしれません。40年近くが経過しようとしている今でも心に残る想い出の一つです。


孫と茶を楽しむ筆者

(注)現在のBarnes Collectionはフィラデルフィアの市の中心部に移設されているようです。           

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