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沖縄石垣島米寿の旅  

山本健(S32政)


沖縄石垣島、コロナ後の初旅でした。今まで行き損ねていた沖縄の離島でしたので自分88歳の米寿記念と理屈づけいってきました。連休前の閑散期で羽田空港全日空カウンターには手持ち無沙汰のおねーさんが一人ぽつねんと立っていました。


山の豆腐レストラン

翌朝ホテルの朝食は高いので地元らしい有名豆腐店に行きました。山の中、素朴な沖縄風建屋に純朴な豆腐が安くて美味しかった。


川平湾

元々海でねっ転がり、たまに泳ぐ程度の過ごし方が性に合ったのですが、ホテルの勧めもありバス一時間の川平海岸、透明度が高く美しいと言われる浜に行きました。ガラス窓のある平底船は定番ですが風景は絶品です。


このあと南国らしい猛烈なスコールに見舞われ、たまたま休憩していたミルクや風の売店に三時間綴じ込まられました。帰りに長居のお詫びに茶代をおこうとしましたが純朴な店の方に固辞されました。


竹富島

竹富島ではブーゲンビリアの咲き乱れる中水牛に引かれたこれも定番の牛舎相乗りです。細道の曲がり角を牛が賢く大回りし、我々のように最後輪をこすったりせず右折していました。また木陰で自分から一休みしてのんびりした観光タイムを守っていました。


星の砂浜

世界で稀な虫の殻からなる星型の砂粒は誰でも採集出来る貴重品です。


島といってもこの地はかなり都会なので夕食は焼肉以外は居酒屋で食べました。そこでの沖縄ライブはかなりハイレバルでノリも良く堪能しました。気に入った「よるどーや」には2日連チャンで顔を覚えられ感謝されました。半年ごとに来る大阪の客もいるそうで、どこからと聞かれた私は「埼玉所沢、西武ライオンズ山川」と叫んでいました。ちなみに、山川は沖縄本島、平良海馬は石垣島出身です。


津波引き波の跡 記念大石

古代2000年前に打ち上げられた大石と300年前の津波がガジュマルの大木をえぐり、無数の珊瑚殻を根元に絡み付かせた.頑固な建物も破壊する津波引き波のすざましさをこれほど如実に見たのは初めてであり、この体験は貴重であった。


尖閣神社(外国暴民に破壊された尖閣島の神社を偲んで建てられた)

観光コースにはない隠れた偉業.尖閣島での中国暴挙に対し万感の思いを持って祀られたことが伝わる。

島の北側はるかな同島を眺望する位置に謹立されている。島内で200人の漁師が生業していたことを知った。


この日の前夜北海道の観光船遭難の報が入った。ここの船は水深30センチを通る。20センチのところに入ると座礁すると猟師風の船長がいっていた。   

マングローブの密生は南国らしい。

由良島

由良島との往復は海を渡る牛車であった。水牛は15歳というがさすがに筋骨隆々で特に腰骨の発達は凄い。この尻を見ながら三線の沖縄民謡を聞く。


真栄里ビーチ

少し泳いだだけで疲れ果て寝る.沖縄の日差しは聞いての通り強烈でちょとの昼寝が響き火傷状の日焼けに悩まされる。帰国後も10日程してから皮むけが始まつた。


沖縄に行っていつも一番始めに思うことは、やはり戦争のことであり、今のウクライナよりはるかに悲惨な民間人の犠牲があった。この抵抗が今の我々家族を守り作り上げてくれた事を自責の念と共に感謝している。そして中国海軍が我が物顔で通過する緊迫感のある宮古島と違い、ここ石垣は比較的のんびりしていてくつろげる。海も空も絶品に魅入られる深みを備えた青一色で敷き詰められ、そこに居ることだけで深い感動をもらうことが出来た。





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