~音楽とのきっかけ、それから、いま~
新倉由一(S39経)
私は音楽が好きで、聴く事、楽器を弾く事そして音楽会の開催に携わっています。
音楽にはジャズをはじめ様々なジャンルがあります。これまでに聴いたコンサートの数、手許にあるCD・DVDの数を基準に考えますと、好きなジャンルはおおまかにクラシック音楽が75%、ジャズが20%、その他が5%程度です。
(クラシック音楽との出合い)
クラシック音楽好きになった経緯は次のとおりです。中学生のころ、住んでいた神奈川県逗子市の国鉄逗子駅前のロータリーにあったスピーカから音楽が流れていて、きれいな音楽だなと感じました。それがクラシック音楽に最初に感動した経験で、後日チャイコフスキーの「白鳥の湖」の中の「情景」と分かりました。その次がラジオ放送のベートーベンの「第9交響曲の第4楽章」そしてマーラーの「さすらう若人の歌の第1曲」で、何故かフルトベングラーとウイーンフィル、歌がディートリッヒ・フィシャディスカウによる演奏との記憶があります。
演奏者に魅力を感じ他の曲も聴くようになりましたが、マーラーに強い魅力を感じるようになったのは40才を過ぎてからで、交響曲のCDを多種類購入し、集中して聴き、今でも大好きな作曲家です。
1959年高校3年生の時に、オーディオセットを購入してもらいました。ちょうどモノラルからステレオレコードへの移行期で、ステレオ録音効果の大きい曲のさわり部分をあつめたデモレコードが付いていて、その中にベルリオーズの「幻想交響曲の第5楽章ワルプルギスの夜の夢」があり、これまで聴いた事のない独特な響きに魅了され何度も聴き返しました。翌年この曲を演奏したシャルル・ミュンシュとボストン交響楽団が来日、日比谷公会堂での演奏会に行き、大感激しました。
これらの体験が基礎になり、交響曲を中心にレコードをあつめ、音楽会に出かけ、社会人になってからNHK交響楽団の定期公演の会員になったりして、クラシック音楽を聴く事が最大の趣味になりました。
以後60年余り、様々な作曲家のいろいろな作品を聴きましたが、最も素晴らしいと思っている曲はバッハの「マタイ受難曲」です。聖書のマタイによる福音書をテキストに最後の晩餐から、裁判にかけられ、十字架に磔にされるまでを描いた、独唱、合唱、オーケストラによる、演奏に3時間以上かかる大曲です。私はクリスチャンではありませんが、なぜか聴く度に心を惹かれ、演奏会には10回近く行っています。
今最も興味ある作曲家はショパンとショスタコーヴィッチでボックスセットを購入し、聴いています。
(ジャズへの目覚め)
ジャズに親しむようになったきっかけはと考えてみますと、1958年制作のフランス映画「死刑台のエレベーター」が思い浮かびます。マイルス・デヴィスが単身渡仏、作曲、現地のミュージシャンと演奏したテーマ曲は恰好が良く、いっぺんに魅了されました。1959年、受験勉強の1年間でしたが、ながら族で深夜12時からラジオ関東の番組「ミッドナイトジャズ」を聴き、番組のテーマ曲チコ・ハミルトンクインテットの「BULE SANDS」が快適で、アートブレーキーの「モーニン」も聴いたと思います。そのアートブレーキーが1961年に初来日、サンケイホールで感激した記憶があります。ジャズとクラシック両方に親しんでいたのですが、社会人になると何となく疎遠になり、聴く事もなくなりました。
(ジャズとの再会)
しかし社会人なって14年目の1978年夏、ジャズを再び聴き始めました。当時北海道大沼公園にあるリゾート施設で働いていました。2ヶ所のゴルフ場にくわえ新たに160名収容の宿泊施設が7月中旬に開業、観光のトップシーズンで連日満室、順調な滑り出しでした。が私は宿泊施設の営業、運営は初めての事で、施設全体の責任者として、気苦労が絶えずかなりのストレスの日々で、このままではトップシーズンを乗り切れないのではと不安に駆られ始めました。そんな中、たまたま入ったレコードショップの店内に「ベサメムーチョ」が流れていました。哀愁に満ちた、清新で躍動感にあふれたアルトサックスの演奏に心を揺さぶられ、癒され、元気づけられました。店員さんに誰の演奏と尋ねると、「アート・ペッパーカルテット」ですとの返事がありました。アート・ペッパーの名前は聞いた事はなく、「ベサメムーチョ」も歌として聴いた事はありましたが、歌詞の内容は現在でも分かっていません。レコード「AMONG FRIENDS」を購入、その日の夜に「ベサメムーチョ」を何回も繰り返して聴き、次の日から毎朝4~5回聴いてから出勤するようになりました。
こんな状況が1週間、2週間と続き1ヶ月たった頃には9月を迎え、いつの間にかトップシーズンは終わり、私自身も元気を取り戻していました。音楽は人の心を癒し、元気づけ、勇気づけるものだと実感させられました。
近頃はピアノトリオをよく聴いています。ビル・エバンス、エディ・ヒギンズ、キース・ジャレット、佐藤允彦等です。佐藤允彦は1964年経済卒の塾員です。
(クラシックギター)
楽器はクラシックギターが好きで、学生時代4年間、個人レッスンを受け、発表会や仲間が集まっての演奏会を行った事がありました。卒業後遠ざかっていましたが、4年前から再度個人レッスンを受けています。50年のブランクと加齢は大きく、なかなか上達しません。ですが、ギターを弾く事は楽しく、これからも続けるつもりです。三田会の新年会で演奏ができれば素晴らしいのですが、夢のまた夢であるのは間違いありません。
(音楽会の開催と所沢三田会への入会)
定年退職後、入間市に住んでいますが、私は神奈川県の出身で入間市には友人、知人はほとんどいません。函館、熊本、大阪では三田会に入会していました。入間市には三田会がないようなので、どうしようかと思っていました。そんな折、入間ジャズクラブ主催のコンサートに行き、会員を募集していて、入会しました。ジャズを楽しむ会と思い入会したのですが、コンサートを開催してジャズを広めるのが主な活動の会で戸惑いました。しかしコンサートの開催は仕事で行っていた、ゴルフツアー、スキーツアーの企画・販売と類似していて、自然に溶け込むようになりました。しかし入場券の販売は入間市に居住を始めたばかりの私にはハードルが高く、どうしようかと思い悩んでいました。
そんな中、所沢市に三田会が在り、ジャズの好きな会員もいるからとアドバイスを受け、入会致しました。おかげさまで入場券の販売に成果をあげる事が出来ました。さらに歴史研究会に入会、文化フォーラム主催の音楽会の開催にかかわる事等、会員の皆さまとの交友が深められ、充実した生活をおくる事ができています。
三田会および会員の皆さまに、心から感謝致しております。音楽のおかげで、私の人生は間違いなく、より豊かなものになっていると確信しています。 (2021年4月 記)
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