新型コロナウイルスの影響で久し振りにリオ・オリンピック400mリレーの録画を見た。そして思い出が重なった。
1.決勝レース
日本時間2016年8月20日午前10時35分。日本中が銀メダルの歓喜の興奮に包まれた瞬間だった。陸上に全く関心のなかった人まで巻き込んで。
400mリレー決勝がテレビに映し出された。花道からトリニダートトバコ、カナダ、中国、4番目に日本。出てきた表情は明るかった。刀を抜くジェスチャーだ。飯塚選手が考えたらしい。隣で小生の相方がポツリ「明るいわね」全然臆することがなかった。飯塚自身の結果は吹っ切れていた。そして、ジャマイカ、アメリカ、ブラジル最後にイギリスと続いた。全選手が登場して、選手が自分のポジションに散った。
テレビは、選手の表情を追う。各走者は、バトンを貰う為に、自分の飛び出す位置を慎重に歩測し、目印にテープを貼っていく。後で聞いた話では、少し歩測を広げたそうである。自信がない時は、歩測が短くなるのに。
いよいよスタートだ。
風がやんだ。号令がかかる。選手がスタート位置につく。テレビにボルト選手とケンブリッジ飛鳥選手の顔が大きく映し出される。ケンブリッジ飛鳥選手の顔は落ち着いた顔をしていた。
ピストルが鳴る。一斉にスタートだ。山縣がいい。カーブをきれいに回って行く。テレビに吸い込まれていく。期待が大きく膨らむ。ジャマイカ・パウエル選手より速い。一走選手の中でトップである。アナウンサーの声が段々大きくなってくる。
2走にバトンがわたる。マークを少し長くした分だけ、バトンが微妙に見えた。本人たちは気にもしていない。絶対渡してくれるという信頼感だけだ。バトンは渡すほうが責任を持つ。早く飛び出した時は、「早い」と怒鳴る。そんな声は無用だった。2走は、各チームのエースか、2番手が走る。飯塚選手は日本の選手の中で100mの記録は一番遅い。でも200mは誰よりも速い。実質バトンを貰ってから渡すまで、4人の中で一番長い距離を走る。200m走者の腕のみせどころである。解説者の伊東浩司がなんと言おうとしっかり走り切った。チームのリーダーとして。
3走は、桐生選手だ。個人の100mでは、他の二人に比べ残念な結果になった。プライドが傷ついた。リレーの勝負は3走で決まる。4人選手を揃えるのは難しく、たいがいは、チームで一番遅い選手が選ばれている。だからこの3走で勝負がつくことが多い。カーブは思った以上にきつく、大柄で速い選手は、なかなかトップスピードを出せない。桐生選手は小柄でカーブを走るのが実に上手い。又リレーでメダルを取るカギは自分だということを、よく理解している。だから練習からカーブ走を思いっ切りやってきた。個人種目をある程度犠牲にしてまで。桐生はそんな選手である。
とにかく、速かった。群を抜いて速かった。第4コーナーでは、ジャマイカを抑えているように見えた。アナウンサーの声は、益々興奮してくる。
4走別名アンカー、ケンブリッジ飛鳥選手。少し広げたマークをみて飛び出す。絶対に桐生選手が渡してくれることを確信して。きれいに渡った。ジャマイカのボルト選手とほぼ同時である。テレビ見ていると、ボルト選手が引退したら、勝つのではないかと思わせるほど、いい飛び出しだった。アメリカ、カナダの有名選手が追いかけてくる。もうボルト選手を見る余裕は、日本の視聴者にはない。アナウンサーも同様である。興奮しているし、声は枯らしているし何を言っているのか全くと言ってよいほど聞き取れなかった。ケンブリッジ飛鳥選手は、無我の境地のように走り切り。アメリカに、カナダに勝った。
信じられない光景だった。ようやくアナウンサーの声が聞こえる「日本銀メダル~~!」日本中が興奮し、信じられない光景をみたのだ。
興奮は続いた。桐生選手とケンブリッジ飛鳥選手が抱き合った。そして遅れて山縣選手が抱き合った。一番遠くにいた飯塚選手が抱き合って日の丸を背中に背負い場内を回った。世界中が信じられない光景を見た。そして日本選手の活躍に大きな拍手を送った。ひいき目に見ても、世界中が、観衆が興奮して歓喜の渦に見舞われた。
4人のインタビューでの感想は、
山縣選手「歴史が作れた」
飯塚選手「信頼感のあったチーム。頑張った」
桐生選手「最高の気分」
ケンブリッジ飛鳥選手「絶対にメダルを取ってやると思って走った」
4人の笑顔が印象的だった。山縣選手の言う通り歴史が作られた。
2.50年前・・・
50年前。1970年日本インカレ陸上競技選手権。400mリレー(4継)決勝。大阪長居陸上競技場。第一走者N。そうかこういう表情で、気持ちで走ったのか。そう頑張っていたのか。山縣とダブりながら心の中で話しかける。第二走者自分へと心で繋いで行く。当時学生最速のIと同じ走りをしたのだから。皆誉めてくれた。飯塚と一緒だよなと。第三走者Sへ。桐生の綺麗なカーブ走にスレンダーな君の走る姿がダブル。上手く2走と4走を繋いだ。アンカーFへ。Fは、抜かせない男だった。まるでケンブリッジ飛鳥と同じ迫力を持って走っていた。全員4年生で最後の4継だった。よくこのメンバーで決勝までいった。お前達の頑張りのおかげだ。とにかく皆気合入っていたよな。こんな事を心の中で会話しながらテレビと、この文章を書きながら「4継の旅」をしていた。そしてこの「心の旅」が私の至福の時間(とき)なのである。(了)
追伸:お読み戴きありがとうございました。下の写真をクリックすると、リオ・オリンピック400mリレーのビデオが見られます。是非ご覧戴き、皆様それぞれの「思い出」に重ねて「至福の時間(とき)」をお過ごし戴ければ筆者としては大変嬉しいものとなります。
(この写真をクリックすると、ビデオが見られます)