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柳瀬荘黄林閣でのボランティア活動について


稲村洋二(S44商)

今回の寄稿にあたっては塾の大先輩である松永安左エ門の別荘であった柳瀬荘黄林閣に関することでもあり、大出会長より原稿の依頼があったものです。




(ボランテイア活動の経緯)

私が2018年、仲間と黄林閣のボランティア活動を開始するにいたる経緯は、2009年12月に退職した後、2010年6月開始の所沢市民大学で学び、そしてその後の活動は学びの継続がベースとなり柳瀬荘黄林閣での活動もその延長線であるということを説明しなければなりません。退職後の生活をどのようなものにしたいのか、どのようなものにすればいいのかと悩んだ時に家内のアドバイスもあり、所沢市の市民大学で学ぶこととしました。所沢のことをもっと知ろう、地元の仲間を作ろうとも考えました。黄林閣のボランティアは突然降って沸いたような話ではなく、そのOB会であるところざわ倶楽部(注)のサークル“所沢の自然と農業”がそれまで育んできた活動から黄林閣でのボランティア活動に結びついたからです。


(所沢の自然と農業サークルの活動目的)

我々のサークルは“武蔵野の雑木林の維持・保全、三冨の伝統農業を維持し継続するのを支援する、会員の健康つくり”を会の活動目標とし、その活動の拠点を①市民大学ファームでの野菜つくり、②山田ファームでの野菜つくり、③トトロ21号地の維持・保全、④長野県高山村のりんご農家の春・秋ボランティア、⑤柳瀬荘黄林閣でのボランティア、そして毎月の定例会に置いています。市民大学ファームは所沢市の城地区にあり、山田ファームは小手指地域にあります。会員が参加しやすいように所沢市の東西にファームを設けました。両ファームには我々のサークルのメンバーだけではなく地域の人たちもメンバーになり年間を通して野菜つくりを行い、夏・冬に収穫祭を開催しています。さらに農を福祉にという考えから市民大学ファームのメンバーが今年の4月からフードパントリーをはじめゆくゆくは子供食堂を運営していく考えです。山田ファームも施設の子供たちと農作業とトトロの森の保全活動をしています。我々のサークルの顧問でもある淵野雄二郎東京農工大名誉教授は、我々のこうしたサークルの活動を評価して、“三冨アライアンス活動を引き継ぎ、10周年を迎えた”所沢の自然と農業サークルの歩み“は貴重な実践記録である。これからも所沢の自然と農業を視野におさめ”協働の舞台“を演出する役割を期待したい”と述べられています。


(柳瀬荘黄林閣のボランティア活動に至る経緯)

(柳瀬荘黄林閣)

さて、柳瀬荘黄林閣のボランティアについてですが、我々の中で武蔵野の雑木林を未来につなぐ活動を継続的にやって来ました。我々が落ち葉掃きを手伝っている三芳のサツマイモ農家伊東園の伊東さんは360年続く農家ですが、“この地域を朝霞のようにしてはいけないとの思いで農業を継いできている”と仰っていました。それは朝霞が急速な都市化により地域の森や林や畑が亡くなったからです。伊東さんは地域の農業を日本農業遺産にまで高められた方です。現在は世界遺産に申請し、農林水産省の審査はパスしました。雑木林は地域の価値を高めてきています。所沢市のカルチャーパークの保全活動に参加しましたが、主体的に活動できないため断念しました。丁度同じような時期(2018年7月)に同じ所沢三田会の中原さんから柳瀬地区歴史ウォークに誘われました。前会長の竹下さんも一緒でした。その歴史ウォークの最終地点が柳瀬荘黄林閣でした。柳瀬荘は電力の鬼と呼ばれた実業家であり、茶人としても名高い塾の先輩松永安左エ門の別荘であったもので5000坪を越える敷地内には武蔵野の面影を今にとどめる雑木林ものこされ、周辺の開発から一線を画した貴重な自然環境を保っています。  

(武蔵野の面影を今にとどめる雑木林)

黄林閣は東京国立博物館が所有する重要文化財です。建物は重厚な雰囲気を醸し出し歴史を物語る建物です。中央に黄林閣があり、その左右に西山、東山があります。西山には茶室(久木庵)があり比較的手が入っていましが、東山は鬱蒼として大木と竹林で人を寄せ付けないような感じでした。訪問した時ここを我々の手で整備できないだろうかと考え管理人の針生清美さんに尋ねたところ、是非協力してほしいとの返事でした。その後東京国立博物館とボランティアの覚書を結び、その年の10月から作業を月2回行なって来ました。毎回15~20名の参加があります。  

         (柳瀬荘黄林閣の内部)   

(柳瀬荘黄林閣のボランティア活動の現在

作業は東山にあった散策路を復元・整備することです。それにはまず竹の伐採からはじめました。鬱蒼とした常緑広葉樹の大木と広い面積の竹林に覆われた東山ですが徐々に光が差し込む美しい竹林にかわってきています。散策路も整備できました。針生さんの夢は松永安左エ門が残した祠の跡とか、茶室の跡、これまでそれらはツタに覆われどこにあるのかわからない状態ですがそれを掘り起こして姿が現れてきました。今年の秋にはお披露目を行う予定であると針生さんは仰っています。

  (竹林の伐採作業)      (散策路の整備)

黄林閣の自然は所沢市の自然の中でも重要な役割を担っています。それは所沢市の“生物多様性戦略”の中に書かれていますが、生物のエコロジカルネットワーク(生物生存回廊)の一端を担っているからです。われわれのサークルでは黄林閣で伐採した竹に土を入れ、トトロ21号地で採取したクヌギ、コナラの幼木を植え育てる取り組みをやっています。林地、竹林地を整備することにより、より多くの植物、生物が生存できる場所つくりにも役立っていると考えています。このように黄林閣でのボランティア活動も市民大学の流れで活動の場を得ています。そういう意味では退職後の私の活動の源であるといっても過言ではありません。

   

(大きな竹の子を持つ中段右から4人目の稲村会員)

(所沢三田会のメンバーとの関わり)

三田会のメンバーで市民大学修了の方達で私が覚えている限りでは、長岡さん、黛さん、寺下さん、中原さん、松尾さん、一之瀬さんですが、中原さん、松尾さんは現在ところざわ倶楽部の理事会のメンバーとして活躍されています。また、一之瀬さん、栗原さんを含め黄林閣のボランティア活動にも参加しています。

今後も仲間たちと活動を続けていく考えでいます。(了)


(注)ところざわ倶楽部について

ところざわ倶楽部とは市民大学の修了生が集ういわゆるOB会です。倶楽部は現在14のサークルで構成され会員数は約250名です。サークルの中には市政を議論する“傍聴席”““、”古典を学ぶ“葵の会”“、”国際情勢を議論する“アジア研究会”、“所沢の歴史を学ぶ“野郎澤の歴史を楽しむ会”“、シェークスピアを学ぶ“ドラマティックカンパニー”“、“生き生きシニアー福祉の会”“、所沢の民話を演ずる“民話の会”などがあります。

私が所属する“所沢の自然と農業”もその一つです。

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