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竹下さん(元会長)を偲んで

去る4月17日(水)、竹下保さん(S37年法卒)がご逝去(享年85歳)されました。3月に最近入院されたことはうかがっていましたが、まさかこのように急にお亡くなりになるとは思いもよりませんでした。あのお元気な先輩、竹下さんが! まさに驚きの報でありました。

一色会長から、追悼文を記述するようにとのご要請をいただきましたので、謹んで思いの一端を記させていただきます。


竹下さんとの出会いは、2009年6月に開催された所沢三田会・第一回定例総会であったと記憶しています。その頃は自分の退職前後でもあり、退職後の生き方について漠然と思いを巡らしていた時期でありました。その総会の場で、とことこ農園の紹介とお話がありましたので、NPO法人がんばれ農業人(とことこ農園)の創立者及び代表者である神山光路さん(S47年政卒)と農園運営面で全面的に支えておられた竹下さんにご挨拶した時が出合いの始まりです。初対面での竹下さんは、自分にはない情熱的な個性と行動力を持たれた先輩、との印象が強く残っています。


「とことこ農園」に入園してからは、神山さんと竹下さんに農作業の手ほどきをしていただき、一週間に一度の憧れの農園作業生活がスタート。退職後の気持ちの良い居場所ができたことを有難く思いました。所沢三田会では竹下さんが副会長、神山さんが総務広報担当を担われていましたので、農園作業の合間にしばしば所沢三田会に関しての話題がのぼり、程なくして所沢三田会の下働き的な協力要請をお受けするようになってから、これまで15年余に及ぶ有難いご厚誼をいただきました。


竹下さんは、所沢三田会創立に向けてご尽力されたオリジナルメンバーのお一人。平塚宗臣(S34年経卒)初代会長を支える形で初代の副会長として4年、そして第二代会長として4年間、その重責を担われました。この間はまさに所沢三田会の揺籃期・成長期、難しい重要な時期に会の成長発展に多大な貢献をされました。


創立当初から所沢三田会は平塚初代会長のもとで、いわゆる旦那衆的な三田会ではなく、よりフラットな、そしてより開かれた地域三田会を目指したいとして、地域貢献を意図した文化活動の展開、そして親睦交流を目的とした同好会活動に力点をおいて取り組み始めました。この目標に対して竹下さんは実践面のリード役として率先垂範され、結果として所沢三田会の活動が活発化する基盤が形成されました。

併せて、ホームページの安価な組織内運営化と会費自動引き落し制度の導入、近隣地域三田会との交流等といった以降の会運営面で有効な強化策にもご尽力されました。


また所沢三田会は現在も、質素を旨とした活動、費用は受益者負担、プライベートな交流では割り勘が基本等、フラットで忖度のない交流と活動が行われていますが、この有難い組織風土の形成にも、竹下さんの気取らないライフスタイルが色濃く反映されてきたと思っています。


数々の思い出のなかでの第一は、竹下さんが情熱を注がれた文化活動が挙げられます。所沢三田会の会員はまさに多士済々。会員とご家族の恵まれた才能と個性を発揮していただき、みんなで協力しあって自前手作りを基本として取り組み、しばらくして講演会、コンサート、落語の会等を順次開催して市民にも親しまれる活動が展開できるようになりました。この活動において竹下さんご自身は黒子に徹して内外の取りまとめ役を担われ、活動の定着発展に多大な貢献をされました。


当初の文化イベント開催は所沢三田会主催としてスタートしましたが、広く市民も対象にして定着させたいとして所沢文化フォーラム名で活動を展開するようになりました。その当時は、地域社会のなかで所沢文化フォーラムの認知度は低い状況にありましたので、いかにすれば広く浸透して定着することができるか、試行錯誤の連続でした。

その一つとして、イベント開催に際しては開催会場の周辺団地(新所沢、航空公園)の各戸郵便受けにチラシを配布するなどして、認知度アップと観客動員に向けて汗を流しました。これも、開催イベントを成功させたいとする竹下さんの強い思いによるもので、あの元気溌剌の軽快なフットワーク!ご一緒させていただいた懐かしい思い出です。


また二番目としては所沢三田会の大きな特色である同好会の創設があります。竹下さんは各同好会の立ち上げにあたって初めからサポートされ、個々の同好会活動がスムーズに発足して活発な活動ができるようにと熱心に取り組まれました。多くの同好会は所沢三田会創立直後から比較的早期に発足しましたが、同好会の大半は竹下さんのリードで立ち上がることができたものと記憶しています。その中でも特に、野球観戦同好会、英語会、囲碁同好会、カラオケ同好会、パソコン同好会、歴史研究会、農を楽しむ会の立ち上げにご尽力されました。ここ最近はコロナ禍で苦戦を強いられてきましたが、この多様な同好会の発足と活動は、会員相互の交流と親睦面で大きな組織基盤となっています。


また地道な活動としては、自前のホームページ作りプロジェクトがあります。創立当初のホームページは外部の専門家に委託して運営していましたので費用面で重い負担がかかっていました。そこで竹下さんは、これを何としても改善したいとして5名のプロジェクトを立ち上げました。幸い岡部克彦さん(S32年工卒)からご自宅の使用提供も含めたご協力をいただき、6~7回にも及ぶ会合と検討を経て、目的を達成することができました。これも竹下さんの熱い思いを感じた活動プロジェクトでありました。


また、地域と義塾への貢献活動としては、慶應義塾主催の小泉信三賞全国高校生小論文コンテストに向けた活動があります。竹下さんが中心となって、市内の全ての公立高等学校を訪問して小論文コンテストの紹介と応募要請の取り組みをしました。結果として、二人の所沢北高校生が最優秀賞と佳作に選ばれ、その表彰式が2012年1月10日(福澤先生誕生記念会、及び新年名刺交換会:三田キャンパス)開催されて、平塚会長、竹下さん、山本健(S32年政卒)さんとご一緒に出席してみんなで乾杯。所沢三田会が有難く、かつ誇らしく感じた思いで深い一日となりました。


また竹下さんは度々、“お互い誰しも長所と欠点があるのだから、人の短所には目をつぶって長所を尊重していこう”、と述べておられましたが、これは、それ以前から平塚さんが熱く語っておられた言でもありました。所沢三田会は、人生経験も個性も主義主張もすべて異なる多士済々の集団。であるからこそ、この心がけは大切です。竹下さんは責任者として、時には会運営で困難な状況にも直面するなかで、その思いを強く持たれていたのでありましょう。個々人の個性と才能、そして価値観の多様性を認め合うことこそが大切であることも併せ、幾度となく共感しあった記憶が蘇ります。


久しく懇意にさせていただいて感じてきたことは、竹下さんは強い“慶応愛”を持たれ、地域社会を良くしていきたい、ひと様のお役に立ちたいとの思いが強い先輩でありました。その情熱はいつも若々しく、とりわけ労を厭わない行動力はお見事でした。まさに行動の人、そして実践の人でした。お会いする時にはいつも資料満載の手提げ袋を持参して情報の収集と伝達に勤しんでおられたことが印象的でありました。

その旺盛な行動と実践から時には不協和音が生じることもありましたが、会員の声を尊重して取りまとめ、結果として幅広い交流と人脈が育まれ、会の活性化と活動の広がりにつながったものと思っています。


竹下さんの思い出は尽きません。何と言っても竹下さんは、所沢三田会創立時から継続して会の発展にご尽力されてきました。これは、所沢三田会という有難い井戸を掘り続けてこられたということであります。

竹下さんは所沢三田会を最も大切にしてこられました。今後、更に充実発展するよう願っておられることでありましょう。

ここに謹んで哀悼と感謝の意を表します。誠に有難うございました。          

合掌。



大出 勇(S43工卒)

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